湯川
2019年11月08日
【序章】
5月のゴールデンウイークが一段落した翌月は梅雨の季節で雨がちな天候の為か観光旅行には魅力が乏しいオフシーズンとなる。
この時季は温泉宿の集客力も手薄となるので種々の特典や通常期より安価なプランが設定されることも少なくない。
今回はこの閑散期限定の格安な宿泊プランを提供する会津若松市の「東山温泉 庄助の宿 瀧の湯」の宿泊記である。
「瀧の湯」は会津若松の奥座敷と言われる東山温泉の中でも老舗の温泉旅館であるが日にち限定直前割の訳ありプランを見つけた。
【東山温泉への道筋】
福島県を代表する観光地の猪苗代湖は湖面の標高が510m程で西岸部は会津若松市の領域でる。しかしこの西岸から標高220mの会津盆地へ向かう道筋は単純な下り傾斜とはならず猪苗代湖と西側の会津盆地との間には背あぶり高原の山地が立ちはだかっている。
この山地は南へ向かう程に700~800mに及ぶ高地となるのでR49の国道や磐越道と磐越西線の鉄路は比較的穏やかな北側の低山地に大きく迂回する経路を辿って若松の中心部を目指す経路を採っている。この迂回カーブ手前の郷ノ原交差点から交差する屈曲の多い県道r64へショートカットして再度国道に復帰する。
会津盆地の北端から平地に至る国道は右カーブを描いて西に進路を変え会津坂下から新潟県を目指すが西へ向きを変える変曲点付近で南に分岐するr64を進んで若松市の中心部へ向かう。片側2車線に中央分離帯を備えた地方道を暫く進むと東山温泉へ左折を促す青看板が現れるのでこれに従って県道r325に折れて南東方向に向かうと片側1車線の道は唐突に片側2車線に幅員が広がる。左手に会津武家屋敷の施設が現れる。武家屋敷を過ぎた先に信号機が設置されておりその先は進路が左右2本に分かれる音叉型の変則的な道形となる。右に進むと湯川沿いを遡る谷沿いの道で左は山側を進んで高度を上げるが両者は上流に至って1本に収斂し温泉街の周回路となっている。従って武家屋敷の先にある信号機が実質的に温泉街の入口である。
【東山温泉】
東山温泉は会津地方の中心都市である会津若松市の文字通り東部山間地域で湯川(ゆがわ)の谷筋に沿う山峡の地にある。
天平年間に行基の開湯と伝えられる古い歴史を刻んできた温泉街は江戸時代になると会津藩の湯治場とされ会津若松の奥座敷の地位を築きあげた。東山温泉観光協会公式サイトに依ると現在は毎分1500リットルを湧出する源泉に17軒の宿(協会加入施設)が軒を連ねる一大温泉街である。
因みに温泉街流域の湯川には多くの滝が掛り渓相に趣きを添えている。これらの滝には雨降り滝、原滝、向滝、伏見ヶ滝等の固有名を与えられたものがあり温泉宿にも「滝」や「瀧」を冠する屋号が認められる。
【湯川と阿賀川(大川)】
湯川は福島県内にあって1000m級の峰が聳える南隣の岩瀬郡天栄村(いわせぐんてんえいむら)に接する安藤峠付近の北麓に源流を発している。一旦東山ダムに貯水された湯川は東山温泉街を北流して会津盆地の平地に下り湯川放水路から阿賀川(別名大川)に注ぐ。放水路の手前には旧湯川の流れも残されておりこちらは溷川(せせなぎがわ)に吸収され最終的には北に接する喜多方市内で阿賀川に合する。
福島県内を北流する阿賀川(大川)は群馬県境山間部の南会津町から北へ下る多くの沢を集めた荒海川(あらかいがわ)を源流とし会津若松市南部の山間域に設置された大川ダムから芦ノ牧温泉街経て会津盆地に下り喜多方市内で只見川とも合流して県境から新潟県へ入ると阿賀野川と呼称が変わり新潟市に至って日本海に注ぐ一級河川の大河である。
一級河川はその支流域も含めて一義的に国土管理されているので阿賀野川の支流であり東山温泉街に掛る多くの小爆を下る湯川も一級河川である。
【庄助の宿 瀧の湯の位置】
庄助の宿 瀧の湯は東山温泉街の入口側の湯川沿いに位置している。
先に紹介した温泉街の入口と見做される信号機がある音叉型分岐点から右側に分かれる谷沿いの道を1分程進むと右手の湯川沿いに置かれた手狭な駐車場に到着する。
駐車場の上流側には大規模瀧の湯の建物が見えているが駐車できる空間は5~6台程に限られており車を乗り入れると送迎車の誘導で離れた駐車場への移動が促される。
この玄関先で荷物や同行者を降し送迎車に従うと下流川の離れた位置にある広い駐車場に駐車した後に送迎車に乗車して元の位置に戻り手ぶらで入館する。
【チェックインの手続き】
先に玄関先で預けた荷物は同行者が案内されれていたフロントロビー奥のラウンジに運び込まれておりここで菓子付き抹茶の接待を受けながらチェックインの手続きが行われる。
このラウンジにはチェックイン時間帯に限定して日本酒の試飲コーナーが置かれ4種の地元の酒を味わうことができる。
同行者は駐車場往復の待ち時間を活用して4種全ての試飲を果たしたそうだが駐車場から戻った私は菓子と抹茶の接待を受けながら夕食、朝食時間や貸切風呂の種類と利用時間の指定等結構複雑なチェックインの手続きに集中しなければならず日本酒は2種を慌ただしく試飲するに留まった。
この様な慌ただしさ故にチェックイン時のラウンジの雰囲気や抹茶の接待、日本酒の試飲コーナーなどの撮影機会を逃してしまい残念ながら紹介できる写真は皆無となってしまった。
【庄助の宿 瀧の湯と民謡】
瀧の湯の屋号に取り込まている庄助は広く知られた民謡の「会津磐梯山」に登場する小原庄助さんに因んだものと思われその中で囃子言葉に「朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上潰した」と謳われている。しかしこの楽曲は昭和9年に販売された俗謡風のレコード曲が発端で旧来から会津甚句等と呼ばれて会津地方に伝えれられてきた歌詞とは大きく異なっていたので当時地元では身上を潰したという否定的な歌詞に非難が集中したそうである。
本来に近い曲は歌詞が162番まであり「正調会津磐梯山」として俗謡とは明確に区別されているとか。
俗謡の「会津磐梯山」でモデルとなった小原庄助という人物には諸説があるらしい。一説としてWikipediaには会津方で戊辰戦争に参戦し慶応4年(1868年10月20日)に戦死したた小原庄助という人物の過去帳が会津若松市の秀安寺に残されているが俗謡に謳われる様な人物か否かは定かでないとの記述がある。
【瀧の湯の外観】
噺が前後してしまうが瀧の湯の施設は湯川と湯川の流れに沿う狭い市道に挟まれた細長い敷地に立地している。
最下流の狭い駐車場から上流側に向かって玄関の設えがありその奥に鉄筋造りの建物が連なっている。
玄関の脇から湯川の谷筋を覗くと谷底ぎりぎりまで埋め尽くす鉄筋造りの多層の建物が上流方向に連なっている。
Part.2は館内の構造
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