撮影経緯
2020年01月01日
昨年は10月に消費税が8%から10%に増税されこれに注目している最中に総理大臣が主催する「桜を見る会」の疑惑が明らかとなりました。各界の功労者を労う筈の場に数千人規模の政治家推薦があり安倍晋三総理の地元では後援会が推薦名簿の書類をコピー可能としてばら撒き希望すれば誰でも参加できる実態が明らかとなり一流ホテルで例年開催されていた前夜祭の立食会費が相場とはかけ離れた僅か五千円であったことや私人である首相夫人関係者の招待も報道されました。更に桜を見る会の招待状が違法なマルチ商法の集客に悪用されたり反社会集団の人物が参加していたこと等々が芋蔓式に発覚しています。会の招待者を取り纏めた内閣府の対応は名簿を廃棄したとして事実解明に真摯に向き合うことなく不都合な事実から国民の目を反らす姿勢を貫いていますが公の文書は将来の歴史検証に不可欠の貴重な資産です。国政の中枢を司る内閣府の無責任な態度に激しい憤りを感じます。
防衛日誌の隠蔽、森加計疑惑の文書改竄、繰り返される政治資金疑惑を抱える大臣の説明無き雲隠れ辞任等々に続く桜を見る会の疑惑は民主主義の原則に従って平等且つ透明であるべき国政運営を冒涜すると共に有能な官吏を子供騙しの言い訳に奔走させる傾国の行為と断ぜざるを得ません。
【写真撮影の経緯】
今年の賀状は昨春に撮りためた東北地方の桜風景を主題にしましたが奇しくも年末に明らかとなった総理大臣主催の桜を見る会の疑惑が生じ妙な桜被りとなってしまいました。
風景の桜は掲載したものより多くを準備していたのですが桜の疑惑は推敲を重ねても譲れない文書量があり葉書面積の制約から写真の一部を割愛せざるを得なくなりました。更にもう一つ用意してた東北大震災の遺構風景も没となってしまいました。
本サイトでは賀状に掲載できなかったこれらの写真も含めて撮影の経緯を紹介します。
【掲載写真と断念した写真】
今年のトップは宮城県刈田郡蔵王町の田園風景の中で早春の蔵王連山を捉えた景色です。
田植えを待つ里の道端には春の花が開いていますが背景を成す蔵王山塊は冠雪が陽光に輝き壮大な姿を見せています。
この景色は東北道村田ICから蔵王町の中心部方向に僅かな距離を進んだ位置で望むことができます。
②~⑦は桜の風景です。
先ずは岩手県雫石町で明治時代から開拓で歴史を重ねた広大な小岩井農場の丘陵地の一角に見事な枝を広げた桜です。
桜の木は自生する山桜以外は古くから川筋や街並に並木として植樹されるのが一般的ですがここは一本桜と称されている通り唯一の独立樹が均整がとれた美しい姿が圧倒的な存在感を示しています。
天候に恵まれれば独立樹の右手奥に壮大な岩手山の南斜面が見える筈ですが撮影時は雲が架かりその姿を画角に収めることはできませんでした。
追加で掲載する写真は雲の切れ目から辛うじて見えた岩手山の存在を捉えたもので傾斜面から隠れた存在が容易に想像できるでしょう。岩手山の山容がもう少し明瞭であったら迷わずこの風景を採用した筈ですが雲が切れることはありませんでした。
因みに一本桜の丘陵は外来者立ち入り禁止の牧場私有地となっており臨時駐車場が設置された道路脇からこの景色を鑑賞することになります。
名取川上流の釜房(かまふさ)ダムは南部の川崎町にあり北部の大倉ダム、七北田(ななきた)ダムと共に仙台市と周辺地域の水瓶の役を担っています。このダム湖の周囲は春を迎えると桜が咲き誇ります。③はダム堤を望む展望地からの景観です。
④は湖を渡る国道R286の上路トラス橋を背景にした湖畔の桜です。
④の対岸位置には高台に置かれた管理事務所下の湖畔に整備された遊歩道に沿って桜並木が続いています。
⑤の撮影地は宮城県北部を流れる江合川に沿う大崎市鳴子温泉川渡(かわたび)地区の河川敷を埋める菜の花の後ろに控える桜です。
毎年春になると江合川を跨いで川渡温泉街に向かう川渡大橋付近の河原には一面菜の花の景観があります。
大崎市の岩出山地区は仙台藩主伊達政宗の嘗ての居城地で現在も秋になると毎年政宗公まつりが盛大に催されています。
仙台市から北へ向かうと岩出山の入口で蛭沢(ひるさわ)川の桜並木に迎えられます。幹が太い古木と細身の新木が並ぶ土手には歩道も整備され手厚い管理が窺えます。
岩出山の中心部には伊達政宗が整備した灌漑用水路の内川の流れが街並みに風情を添えています。背景の高台は伊達政宗の居城であった城山で今も桜の名所です。
次は掲載を断念した宮城県刈田郡蔵王町の松川に咲く桜です。松川は蔵王山塊の宮城県側の2本の谷筋を下る濁川と澄川が遠刈田温泉街に達する直前に合流した河川で平野部に至って阿武隈川に合し太平洋に注ぎます。対岸の川堤に沿う桜並木の奥には松川を渡るこけし橋と温泉街の施設も遠望できます。
振り返って見る此方の岸辺には蔵王の山容を背景に川面に枝を広げる桜並木が清流と青空に映えています。
【東北大震災の遺構風景】
桜に続く副題として東北大震災9年後の遺構風景を温めていたのですが先に述べた都合で残念ながら没となりました。賀状に掲載できなかった風景の幾つかを紹介します。
太平洋に面する南三陸町志津川地区の防災庁舎は震災当日鉄骨3階造の屋上迄浸水し高台への避難を呼びかけ続けた多くの職員が殉職しました。この庁舎は保存か解体か議論が分かれ一旦は町の方針で解体することになりましたがその後管理が県に移行されて現地での保存が決まりました。
保存地の周囲は土地の嵩上げ工事が進んでおり被災当時の高さに建つ鉄骨構造は1F部分の視認が困難な程に埋没して見えます。
北上川が太平洋に注ぐ石巻市の河口左岸にある釣石(つりいし)神社は崖の中腹に見える今にも落ちそうな大岩が過去の地震に耐えて宮城県内では受験の神様として広く認識されています。今回の東北大震災でもこの釣石は落下せず昨年の受験シーズンには多数の合格祈願絵馬が奉納されていました。
釣石神社の本殿は釣石の脇の崖を上った丘の上にありますが
斜面を上る石段の途中には津波の浸水位を示す表示が災害の状況を訴えています。
この浸水位を遠望すると釣石には達していませんが石段から9~10m程の高さに及んでいたことが判ります。9mは一般住宅で3階の屋根に達する高さで先に述べた南三陸町防災庁舎にも符合する驚異的な浸水高です。階段下の社務所は震災後に再建されたものです。
釣石神社の対岸となる北上川河口の右岸には多くの小学生と教職員が犠牲となった石巻市立大川小学校の遺構が当時の面影を残しています。
校庭を囲む様に意匠を凝らした二階建ての校舎や
低学年用に用意されたと思われる円形の教室を含めて外壁の全てが失われて室内が露天に晒されています。
更に驚くのは校舎の二階から体育館に繋がる高架通路が
橋脚の根元からへし折られて倒壊している姿です。強固な筈の鉄筋コンクリート橋脚が押し寄せる海水の圧力に屈した証しです。
東北大震災から9年程経過しましたが津波に被災した太平洋沿岸の各地は今もなお復興の途上にあります。
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